忍者ブログ
世界史に興味はあるけれど、何から手をつけたらいいかわからない人のためのレビュー
[7] [6] [5] [4] [3] [2]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

逆説のユーラシア史―モンゴルからのまなざし

杉山正明『逆説のユーラシア史―モンゴルからのまなざし』の中で、モンゴル時代の歴史を東西の原典史料から研究している立場からすると、「マルコ・ポーロ」なる人物に関してあまりにも疑問が多いことが指摘されています。

ヴェネツィア生まれのマルコ・ポーロは、17歳の時に父・叔父とともにアジアへと旅し、15,000kmの旅の末、1295年ヴェネツィアに戻り、その後牢獄の中で『世界の記述(東方見聞録)』を口述したとされます。

杉山教授がマルコ・ポーロに関する疑問点としてあげるのは、

  • 20数か国にわたるモンゴル時代の根本原典には、マルコ・ポーロに関する記述がまったくない。
  • マルコ・ポーロがモンゴル帝国大ハーンフビライ(クビライ)のもとで就任していたとされる地方長官の職は、歴代の名がすべてわかるにもかかわらず、それらしき人はいない。
  • マルコたちが帰還の際に乗った船に関する記述には、正使以下の面々がきちんと記され、同時代の漢文史料とも連動するが、マルコ一家の記述だけが見えない。
  • 1298年に完成したはずの旅行記の中に、1298年の時点では絶対に知り得ない情報が平然と述べられている。
等です。純粋に歴史史料だけから見れば、マルコ・ポーロの人物像も旅行記も、確かなことはほとんどわかっていないということです。教授はだんだんと「マルコ・ポーロという名の誰か」という言い方を頻繁にするようになります。

 

興味深いのは、その旅行記がフビライ・ハーンとその周辺に関しては、非常に正確で詳しいということです(ジパングに関する記述の正確さを考えてみれば、あまりにも違います)。これは、側近というべき人たちしか知り得ない情報があり、何年もしてから資料もなしに口述できるような代物ではないわけです。とすれば、マルコ・ポーロを名のっているあなたは誰?ということになります。

いったい、誰なんでしょう


杉山正明『逆説のユーラシア史―モンゴルからのまなざし』
└ マルコ・ポーロ以外にも、情報戦・組織戦を駆使して、たたかわずして勝つ軍隊だったモンゴル軍に関する記述も必見です。

PR

Rg

RgtH[
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
コメント
パスワード


gbNobN
トラックバック:


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
プロフィール
HN:
日向(himuka)
性別:
男性
ブログ内検索
カウンター